けいゆう病院 内科 藤井芳明 先生 2016年 10月

 60回生(内科 腎内代)の藤井芳明です。生まれは慶応病院、父(28回内科)が済生会宇都宮病院勤務だった関係で2歳から中学生まで、おやつにみんみんや香蘭の餃子を食べながらのんびりと育ちました。
慶応病院内科でのフレッシュマン研修後、昭和58年から2年間警友病院に教育出張、大学に戻りシカゴ留学の後、昭和63年に再びけいゆう病院に出張となり現在に至っております。というわけで医師生活36年のうち約30年をけいゆう病院の内科で過ごしてまいりました。
けいゆう病院は、すべての診療科の部長が慶応の医局より派遣されている稀少なる慶応関連病院で常時70名前後の三四会会員を擁しております。病床数410床の急性期・地域支援病院で、警察の職域病院として昭和9年に開院、平成8年「みなとみらい21地区」に移転し名称も警友病院からけいゆう病院と変更されました。当院の半径数km以内には、横浜市大市民総合医療センター、みなと赤十字、済生会横浜市東部、横浜市民病院といった救急救命センターをもつ大病院が集中しており、その中で脳外科と心臓外科に常勤医のいないけいゆう病院が急性期病院としていかに地域医療に貢献すべきかが大きな課題になっております。

内科は一内科制で、医師数は出張当初総勢10人程度(うち3人研修医)でしたが、今では各専門分野(循環器、呼吸器、消化器、神経、血液、腎臓、糖尿病、緩和、総合)の専門医が活躍する総勢40人の大所帯となりました。後期研修医は大学出張7名(慶応2、北里2、横浜市大3)と病院公募5名の計12名おり、消化器コース、呼吸器コース、腎臓コースで研修をしています。その他血液浄化センター、心血管画像センター、集中治療センターも内科が中心となり運営しています。また、地域連携強化と女性医師支援の実現のため、育児で時間外勤務、病棟勤務や当直のできない女性内科医師(当院ではDr.Mothersと呼んでいます)を地域連携専従医師として常勤契約で雇用し、救急・準救急の受け入れが必要な患者さんの受診に対応し実績をあげております(地域連携ホットライン 045-221-8111でご連絡ください)。所帯は大きくなり専門分化の流れではありますが、何とか一内科制を守っていきたいと考えております。
さて、電子カルテや画像システム導入により医療情報がデジタル化され、安全管理が最優先事項の時代となっています。ムンテラはIC(インフォームドコンセント)と呼ばれ、数えきれないほどのマニュアルや同意書が整備されており、30年前とは医療の手順が大きく変わりました。しかし医療事故を減らすための努力をするあまり、患者さんやご家族との摩擦が増えることもあります。『マニュアルは医療事故を減らすが訴訟は減らさない』という誰かの言葉が妙に気になります。人の応対はマニュアル化(デジタル化?)しすぎると危険であるということを最近強く感じております。
 昭和の時代には、だいたいどの職場には『ムンテラの神様』と言われる先輩がいました。医師の裁量権を押し付けるような内容がすべて良いとは思いませんが、マニュアルにそったICとは違う暖かみがあったと感じます。新生横浜三四会は、八十島会長のもと年々求心力を増しております。我々に対する八十島先生のムンテラが効果的で、何とか横浜三四会を盛り上げようという雰囲気に包まれているためだと思います。病院幹事として微力ではありますが、パワハラにならないよう注意しつつ当院の会員を総会に導き、地域の会員の先生方との親睦が計れるよう努力して参ります。今後ともよろしくお願い申し上げます。