国際親善総合病院 病院長 安藤 暢敏 先生 2015年 9月

国際親善総合病院 病院長 安藤 暢敏(50回)

国際親善総合病院は横浜市の西の外れ、泉区西が岡の丘陵地帯の住宅地にある病床数287床の急性期病院です。経営母体は社会福祉法人で、特養2施設と老健1施設を併せ持っています。病院ルーツをたどれば、幕末1863年(文久3年)に山下町の外人居留地に開設されたYokohama Public Hospitalになります。1946年に現在名となり、1990年にそれまでの関内から現在地に移転し、泉区唯一の総合病院として地域に育まれ今年で25年になります。過去には順天堂大学からの医師比率が多い病院でしたが、1997年に掛川暉夫先生が院長就任以後は外科、整形外科、放射線診断科が慶應からの教室人事で運営されています。内科系診療科は橫浜市大、昭和大、北里大などで、その他東邦大、東海大など多くの大学のお世話になっています。私は2年前に東京歯科大学市川総合病院病院長を退任し、縁あって当院に入職し、村井 勝前院長を引き継ぎ本年4月より病院長の任に就いております。これまでの40数年間におよぶ臨床医キャリアーの最終章として、私が生まれ育ち現住地の橫浜で、地域医療に真摯にとり組んで参りたいと考えております。

この地で四半世紀が経過し、病院の老朽化に対する再整備事業の嚆矢として新館棟が8月に竣工し、その中に9月より緩和ケア病棟をオープンしました。年間88万人余が新たにがんと診断され、33万人余ががんで亡くなり死因のトップをしめるなかで、全人的苦痛に対する緩和ケアの認知度が高まっています。

外科手術、化学療法、放射線療法などの抗がん治療を施せなくなってから緩和ケアに引き継ぐのではなく、がんと診断されると同時に緩和ケアは始まり、包括的でシームレスな治療体系が望まれます。したがって緩和医療は終末期医療という過去のイメージではなく、緩和ケア病棟も終の棲家ではありません。にもかかわらずその受容力は極めて貧弱です。橫浜市内には緩和ケア病棟を有する医療機関は6病院(橫浜市立市民病院、県立がんセンター、橫浜甦生病院、市立みなと赤十字病院、昭和大学橫浜北部病院、平和病院)、総病床数は118床のみでした。当院近隣の県立がんセンターの緩和ケア病棟も20床のみで、がん難民をつくり続けています。このような現状を考え、がん医療を地域医療として完結させるために、25床の緩和ケア病棟を開設した次第です。高齢者医療と同様に「時々入院、ほぼ在宅」をモットーに、緩和ケア病棟と在宅を行き来できる態勢を整えて参ります。詳しくは当院ホームページhttp://shinzen.jpをご参照下さい。

緩和ケア病棟を開設