済生会若草病院 中村 恒夫 先生 2016年 8月

 54回生の中村恒夫です。現在済生会若草病院に副院長として勤務しております。
両親の出身は熊本ですが、私は横浜市鶴見の生まれで、慶応義塾大学卒業後フレッシュマン出張で栃木県の病院に勤務するまで27年間鶴見に住んでおりましたので生粋の浜っ子と言えます。
 ふたたび横浜に縁があるようになりましたのは1987年に済生会神奈川県病院に脳神経外科医長として赴任してからです。以来約20年間済生会神奈川県病院で脳神経外科医長その後部長として頭部外傷をはじめとする脳神経外科の急性期医療に携わらせていただきました。2007年済生会横浜市東部病院が開院してからは現在東部病院で活躍されている稲葉真脳神経外科部長および各務宏脳血管内治療科部長とともに県病院から移り2年間川城院長の下で脳神経外科部長として勤務させていただきました。2010年からは金沢区にある済生会若草病院に院長補佐として赴任し、主として脳卒中を中心とする回復期リハビリテーションの仕事に携わっております。

 済生会若草病院は1946年に横浜空襲により焼失した済生会神奈川県病院が金沢区の海軍元工員宿舎を借り受けて仮病院として発足したものがもととなり、1949年に済生会神奈川県病院が現在の神奈川区冨家町に新築移転後に地元の要望もあり内科・外科・産婦人科の3科、128床をもって済生会若草病院として開院した病院です。その後徐々に増床され1967年ごろは総病床数238床の大病院となり、若草病院と聞くと「私は若草病院でお産をしました」と言うお年寄りや「私は若草病院で生まれました」という若い方にお会いしますのでおそらく慶応義塾大学産婦人科の諸先輩たちがそのころ若草病院で大活躍されたのではないかと想像しております。また39回生の横井正博先生が院長をされていた1992年から2004年までは急性期病院として循環器科や脳神経外科の手術等も行われていたようです。
 現在は急性期病院から転換し一般病床40床、回復期リハビリテーション病床38床、地域包括ケア病床44床、障害者病床43床、療養病床34床の199床のいわゆるケアミックス型の病院として地域医療に貢献しております。私も2014年から副院長として多少病院経営に関与させていただいておりますが、他の市中病院同様経営的にはなかなか厳しい状態であり、当院が今後も地域に根差した信頼される病院として存続できるよう微力ながら力を尽くしていきたいと思っておりますので宜しく御願い致します。