横浜労災病院副院長・こどもセンター長 城 裕之 先生 2016年 1月

 初めまして、58回小児科の城 裕之(しろ ひろゆき)です。数年前から、横浜三四会の役員をさせて頂いています。平成8年に横浜労災病院小児科に赴任して、早いもので19年が過ぎました。横浜労災病院は、慶応との関連は小児科だけですので、当院のことをご存知のない先生方も多いことと思います。
 私は昭和54年に慶応小児科に入局し、その後、国立栃木病院→大学→東京都立清瀬小児病院→海外留学(ボストン)→清水市立病院を経て、平成8年に慶応小児科松尾教授(当時)の人事で当院に赴任しました。当科は開院時から産業医科大学小児科(当時、白幡聡教授)の関連病院で、小児科部長(当時、初代)は、郡建男先生(49回、産業医大小児科から赴任、現在当院看護学校長)でした。これが、当院が慶応小児科の関連病院となった始まりです。その後、大学の新生児班から飛彈麻理子先生(72回)が派遣され、平成22年4月に新生児内科部長となりNICU運営を頑張っています。その後、大学医局からの派遣は途絶え、現在は横浜市大小児科からの派遣が主となっています。

 現在、当院常勤医師の慶応関係者は、小児科に3名(郡、城、飛彈)、消化器内科1名(独自採用)の計4名のみとなっています。初期研修医については、数年前から毎年2〜5名の慶応出身者が来てくれるようになりました。選択理由の一つとして、「当院が慶応関連ではないから」ということを言われますと、私としては複雑な気持ちとなります。

 八十島会長がいつも言っておられるように、横浜三四会は日本最大の人数を誇る医学部同窓会ですが、市内病院勤務者に占める慶応出身者の割合が増えないことに危惧を感じています。例として、小児科入局者数を採り上げてみたいと思います。平成28年度横浜市大小児科入局者数は21名です(日本一だと思います)、一方、慶応小児科入局者数は10名です。慶応出身でも横浜市大出身でもない小児科志望の初期研修医に聞いてみると、最も大きな理由は、「両大学の関連病院群の差」なのだそうです。横浜市大小児科の関連病院は、ほとんど全てが横浜市内にあります(例外;藤沢、大和、小田原の各市立病院)。つまり、横浜市内にマイホームを持っても、どの関連病院に異動となっても通勤可能です。かたや、慶応小児科は、栃木県、群馬県、静岡県に関連病院があります。地方の関連病院に出張となった場合、若いうちは良いのですが、ある年齢以上になると都内にマイホームを持ち単身赴任とするか、関連病院の地元で永住するかという選択を迫られることとなります。

 この問題に対する私の提案は以下の通りです。慶応大学医学部の関連病院は、「東は市川市、北はさいたま市、西は立川市、南は横浜市のエリアに限るべき」だと思います。これでようやく、横浜市大の関連病院群と伍していくことができます。横浜市指定の小児救急拠点病院)は7病院(横浜労災病院、横浜市民病院、済生会南部病院、済生会東部病院、国立横浜医療センター、横浜市立みなと赤十字病院、昭和大学北部病院)あります。これらの病院の主たる医局派遣元は、慶大小児科1病院:横浜市大小児科5病院:昭和大学小児科1病院です。これでは、横浜三四会の勤務医が増えることは期待できません。

 横浜市は人口370万人を擁する大都市でありながら、市内に医学部が一つしかない事実は以外に知られていません。人口1320万人の東京都には医学部・医科大学が13施設も存在する事実を考えますと、横浜市内の大規模病院において、慶応医学部卒業生のプレゼンスを高めることが、小児科のみならず、横浜三四会の病院勤務者の増やすことに繋がるのではないかと考えています。

 微力ながら、横浜三四会の発展のために努力していきたいと考えています。本年もどうぞよろしくお願いします。