横浜三田会野並副会長

横浜三田会副会長 崎陽軒社長の野並です。

今回の寄稿について、中身は何でもいいから、という言葉に甘えて崎陽軒の歴史について書かせていただきます。

弊社は本年創業110周年、シウマイ発売90周年の節目の年を迎えました。
よく崎陽軒は創業当時からシウマイを売っていたと思っておられる方がけっこう多いのですが、明治41年の創業当時は、何の特長も無い駅弁屋としてスタートしました。
ところが横浜駅は東京駅に近い通過駅ですから、乗客は皆、東京駅で駅弁を買って乗り込みますから、横浜駅に着く頃は食べ終わってお腹が一杯で誰も駅弁を買おうという人はいません。
何とか売上を上げる方法は無いものだろうかと思案している時、ヒントになったのは小田原駅で蒲鉾が、静岡駅でわさび漬が、という様に地域の名産品が駅でよく売れていることでした。
それなら横浜でも名産品をと当然考えたのですが、横浜は開港により急速に発展した町ですから歴史がない。歴史がない町には食文化がない。
当然名産品もありませんでした。そこでないならつくってしまえということで、名産品になりそうなものを探していたときに目をつけたのが南京街(今の中華街)の中華料理屋で突き出しで使われていたシューマイでした。
これを折詰めにして駅で売ろうと考えたのですが、豚肉料理は冷めるとまずいのが欠点です。
そこで南京街から腕の良いコックを招いて、いろいろ工夫のあげくできたのが、帆立貝柱と豚肉を混ぜたシューマイで、これを発売したのが創業から20年経った昭和3年でした。
もし、横浜駅が上野駅や東京駅と同じように始発駅であったのなら、駅弁は飛ぶ様に売れていたでしょう。
もしそうであれば冷めてもおいしいシューマイを苦労して作る必然性は無かったと思います。

先人達のハンディキャップを乗り超えようというバイタリティーには、頭が下がる思いです。
ちなみに弊社ではシューマイではなく、シウマイと表現しています。理由は初代社長が栃木県出身でなまりが原因でシウマイになりました。

横浜三田会 副会長
野並