鈴木内科クリニック 鈴木 彰 先生 2016年2月

略歴:昭和47年卒51回生です。2年間の慶応病院での研修の後、昭和49年5月より警友病院(現けいゆう)に勤務。2年余りの研修の後に慶応病院に戻り、腎内分泌代謝研究室に所属し糖尿病を専門としました。昭和56年9月からは横浜市立市民病院に出向し、主に糖尿病を担当し、平成元年4月に横浜市西区で父の診療所の向かい側に開業しました。当時は市内の糖尿病専門医は5人程度でしたが、その後急速に増えて、横浜市内科学会でも糖尿病研究会が発足し、皆様方ご活躍中です。

三四会について

ずっと横浜市内在住で、市内の慶應関連病院に勤務していたのですが、勤務医時代の横浜三四会の記憶は定かではありません。開業してすぐに横浜三四会開業医会に参加し、以後はほとんどすべての会に出席しております。

開業当時は今のように手軽に情報が入ってきませんでした。警友病院当時にお世話になった山岡三郎先生・斉藤佳雄先生はじめ森山昌樹先生・渡辺哲夫先生・江川二郎先生ら多くの先輩方の話や御力添えでたくさんの事を学びました。

当時の名簿を見ていて、いろいろ思い出しました。(私はなんでも取っておくほうで、手元に各種の名簿が残っております。)

開業医会は5月に、横浜三四会は11月に開かれていました。開業医会の名簿の最初の作成は、西区三四会昭和63年5月で、最終は平成18年5月神奈川区三四会のようです。

開業医会がいつ終了したかははっきりしません。神奈川県支払基金三四会(社保三四会)にも参加しました。こんなところにも三四会があるのかと感激しました。平成16年10月の出席者名簿では、現役とOB合わせて60人の名前がありました。当時は東海大の大城戸先生が中心となり、神経内科の北川泰久先生が幹事役でした。

平成8年の横浜三田会名簿には、昭和11年卒の松丸忍先生、昭和15年卒の山岡三郎先生、昭和21年卒アフメット・アルテンバイ先生、昭和23年卒男全正三先生ら多くの先輩方の名がみられます。

これら昔の名簿を見るにつけ、諸先輩方の記憶がはっきりしているうちに当時の記録や逸話・写真が残せたらと思います。